サイトの創設理念

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創設理念といってもそんな大仰なものではありませんが…。

 

このサイトは名前の通り、英語でゲームを楽しもうというものです。

コンシューマー・スマホアプリを問わず、英語学習ソフトとしてのゲームは古今東西たくさんあると思います。

それらを利用すれば、学習ツールとして開発されているだけあって、効率的かつ体系的に英語が学べることでしょう。

しかし、勉強を継続できるか、はたまたそれが楽しいものになるかどうかはわかりません。もちろん、興味をなくさないよう飽きさせないような工夫もされているのでしょうが、所詮ツールはツール。結局はやる人次第です。

では逆転の発想で英語よりも、ゲームとしての側面を推してみるのはどうか、という思い付きで立ち上げたのが当サイトです。

以前「英語 ゲーム」でグーグル検索をしてみたのですが、検索候補に上がったのは前述のようなあくまでも英語ツールとしてのゲームでした。自分の発想が奇抜だとか口が裂けても言えませんが、意外と穴場市場であることに気が付きました。

皆さんご存知の通り、日本人は英語アレルギーです。昨今の世界情勢において、これは致命的な問題だと私は考えています。とある調査によると、日本はTOEFL((留学生向けの英語試験の一つ。海外の大学に入学・編入する際に重視される))の点数がアジア最低クラスで韓国はおろか北朝鮮にすら負けているという報告がありました。まあこれに関しては北朝鮮はエリートしか試験を受けていないというカラクリのせいでもあるのですが、いずれにせよ由々しき事態であることは間違いないです。

本題に戻ります。いくら英語を学ぼうといっても、学習意欲が続かないのでは話になりません。何も英語に限った話ではないですが、人間つまらないと感じたら何やっても長続きしないものです(忍耐強い人を除く)。

ではどうすれば面白くなるのか。答えは簡単です。自分の興味に結び付ければ良いのです。

当サイトはゲーム好きが夢中になれるような英語コンテンツの提供を目的としています。口で言うほど簡単ではないのですが、興味深いコンテンツを安定して供給できるよう頑張りたいと思います。

とは言うものの、英語学習を全面に押し出すとカジュアルな内容を期待されている方にとっては窮屈に感じるはず。私としても肩肘張った学習サイトなど作りたくないので、日本語と英語の文章を見比べることで「新たな世界」の扉を開いていければなあと考えています。文法や語句の解説はもちろんですが、翻訳・ローカライズによって生じる日本語と英語の二つの世界の広がりというものを見せていきたいのです。

要するに何が言いたいのかというと、学習という側面はあえて曖昧にしていくよ、ってことです。

私自身、まだまだ英語力が足りていないのが現状ですが、持てる知識はフルに活用していくつもりです。よろしくお願いします。


 

余談ですが、私にはもう一つ目的があります。コンシューマ市場の再興です。無論たかが私一人でどうにかできる問題ではないのですが、サポートはできると思うのです。

皆さんゲームを買うときは当然日本版を買いますよね。海外版も買う人なんて極極一部の人だけ。全体の1%にも満たないんじゃないでしょうか。同じゲーム2個買ったってしょうがないとお思いかもしれません。

でもちょっと待った。その考え方、非常にもったいない。日本語以外の言語でプレイすると新たな発見ができます。

言語というのは単なる意思疎通ツールではありません。様々な歴史・文化、そして人の営みによって生まれたいわば知の結晶です。人間を人間たらしめている最大の要素といっても過言ではありません。

言語はアイデンティティです。一人の人間の人格形成に大きく関わるものなのです。誤解を恐れずに言うならば、言語が違えば同じ人間でも別人です。我々日本人は日本語を国語としていますが、もしこれがアメリカに強制されて英語になっていたならば、現在とは全く異なる日本になっていたことでしょう。

日本人は大人しくて内向的な傾向がありますが、もしかしたらもっとストレートで外向的な民族になっていたかもしれない。逆に奥ゆかしさとか虫に風情を感じる((ほとんどの外国人にとって虫の声など雑音にしか聞こえません。彼らにとって声ではなく音なのです。))和の心は希薄化していったかもしれない。

これをゲームの世界に置き換えてみると、自分たちが良く知っているキャラクターも、言語が変われば別の顔。すなわち同じ姿をしただけのほとんど別のキャラクターだと言えるのです。仮に別キャラという表現が不適だとしても、自分の知らない一面垣間見ているようなものです。これが案外、楽しいんです。

 

「ここは日本だ。英語(外国語)なんていらん」

 

生粋の国粋主義者ならともかく、一般の人がこのように考えるのは非常にさみしいことだと感じます。間違っているとは言いませんが、もったいない見方をしているな、と。日本語>英語だとか日本語<英語だとか、優劣に終始するチンケな二元論を唱える気は毛頭ないです。

ただ英語が嫌なら全部大和言葉で話せよと思います。無理ですよね。⇑のようなことを言う人は大抵出来ない言い訳をしているだけ。「英語の能力なんてタダでもいらん」と胸を張って言える人だけが吐くべきセリフです。

世界は今グローバル社会です。国内だけで生産・消費が完結する時代なんてとうに終わってます。世界公用語である英語を拒むのは、自ら可能性を閉ざしているのとなんら変わりありません。日本が世界最先端だった時代なんてもう過去です。いい加減目を覚ましてください。

話が少し逸れました。英語だけできる人間になれというのではありません。最低限英語はできるようになってほしいだけです。国際社会において、日本語しかできないというのは武器を持っていないのとほぼ同じ。周りが重火器で武装している中、竹やりで特攻をかけるようなものです。そりゃ勝負になりませんよね。

…偉そうなことをつらつらと書き連ねましたが、とりあえず英語に対する苦手意識を捨てさせることができれば、私の目的も少しは達成されたといえるかもしれませんね。